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2016年2月28日日曜日

橋本治『三島由紀夫とはなにものだったのか』___「父」と「天皇」そして「女」を語らない自分史

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 のっけから随分辛口のタイトルとなったが、この評論はおもしろかった。ひとつには、著者の橋本治が私とほぼ同世代で、ともに学生運動の嵐が吹き荒れる中で青春時代(歌の題名みたいであまり使いたくない言葉だが)を過ごしたからである。  橋本治は当時現役バリバリの東大生で、のみならず「と...
2016年1月9日土曜日

大江健三郎『水死』___「をちかへり」考___「ウナイコという戦略」拾遺

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 『水死』について、これ以上書くこともない、というか書けることもないのだが、一つだけ前回「ウナイコという戦略」で書き残したことを書いてみたい。『水死』のヒロイン、反・時代精神の女優ウナイコ「ウナイコ」が「ウナイコ」と呼ばれるようになったくだりで引用される古歌の解釈の問題である。 ...
2015年12月21日月曜日

大江健三郎『水死』__コギーという記号とあらゆる手続きの演劇化

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 大江健三郎の小説を読んで分かった、と思ったことは一度もない。分かった、と思うときがきたら、そのとき私は大江の読者でなくなるだろう。『水死』も分からない小説で、いろいろな分からなさがあるが、まずは「コギー」なる名称と存在が分からない。  物語の始めに、古義人が賞をもらったとき...
2015年12月14日月曜日

大江健三郎『水死』___フィクサー・アサの役割と沈黙する古義人

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 この小説ほど古義人の妹アサの活躍する作品はない。アサは、物語りの発端から終末まで事件の展開の節目節目に登場して、その主導権を握っていく。アサから古義人への手紙、というかたちで語り手としての役割も担っている。一方、古義人はなんら主体性なく沈黙がちで、結末の破局までなすすべもなかっ...
2015年12月5日土曜日

大江健三郎『水死』__「大黄さん」に関する備忘録

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 『水死』はやはり不思議な小説である。この作品だけ読めば、起承転結整っていてスキがないようにみえるが、長江古義人シリーズの最新作としては、これまでの作品との破綻があちこちにあると思う。もちろん、これも作者大江の戦略なのだろうが。  前回のブログ「ウナイコという戦略_『みずから...
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