2015年12月5日土曜日

大江健三郎『水死』__「大黄さん」に関する備忘録

 『水死』はやはり不思議な小説である。この作品だけ読めば、起承転結整っていてスキがないようにみえるが、長江古義人シリーズの最新作としては、これまでの作品との破綻があちこちにあると思う。もちろん、これも作者大江の戦略なのだろうが。

 前回のブログ「ウナイコという戦略_『みずから我が涙ぬぐいたまう日』を読み換える」でも指摘したように、『水死』は『みずから我が涙ぬぐいたまう日』を確信犯的に読みかえるところから出発している。『みずから・・・』のあの人は一義的に「父」となり、語り手の「かれ」は十歳の少年となって、古義人自身と一体化している。ここまでは、重層的な作品世界の一元化、の範囲だと思うが、問題は蹶起」という事件の起こった「時」のズレである。『みずから・・・』では敗戦の翌日となっているが、『水死』では敗戦を目前にした時点、となっていて、戦争はまだ終わっていない。『みずから・・・』も『水死』もそれぞれ独立した作品なのだから、この程度のズレは問題にすべきでない、という考え方もあるだろうが、それにしても釈然としないものが残るのだ。

 水死した父の後を継いで超国家主義者の錬成道場のリーダーとなった大黄さんはこの小説で極めて重要な人物として登場するが、大黄さんとは何者か。大黄さんが初めて長江シリーズに登場したのは『取り替え子』だったと思うが、当時高校生の古義人より少なくとも五~十歳は年上で老獪、狡猾な大人として描かれていた。とすると、『水死』の時点では八十歳を超えているはずである。だが、この作品に登場する大黄さんは精悍かつ知的な老人で、八十をとうに超えた人とはどうしても思えないのだ。そもそも大黄さんは『取り替え子』では死んだことになっている。さすがに、この点にかんしては作者大江も気がひけたとみえて、道場解散に際して弟子たちが「生前葬」をして古義人にすっぽんを送った、ということにしているのだが。

 錬成道場そのもが、『憂い顔の童子』の時点で、松山の財閥に土地ごと買い取られて、あとかたもなくなったはずである。それをもう一度復活させて新たなキャラクターを大黄さんに与えたのは何故だろう。そもそも大黄さんは、古義人に、間歇的に「通風」というテロを行ってきた張本人なのである。古義人は何回も郷里の訛りのある複数の人間に押さえつけられ、足の親指に砲丸を落とされるという体験をしている。もちろん実行犯は配下の人間であるが。これは間違いなく脅迫で、その目的は、「アレ」をバラすな、ということだ。この「アレ」こそが『取り替え子』と『憂い顔の童子』の核心だった。

 『さようなら、私の本よ!』、『﨟たしアナベル・リー総毛立ち身まかりつ』にまったく登場しない大黄さんに新たなキャラクターを与えて復活させ、魅力的なヒーローとして一気に結末をつけさせたのは何故か。だが、結末、といっても、大黄さんが「赤革のトランク」でないもうひとつのやや大きなトランク_古義人の父の持ち物だった_から取り出して小河を撃った銃はどうやって入手したものか、という疑問が残されている。もしかして、それは塙吾良を囮に大黄さんの道場におびき寄せられたアメリカ兵ピーターの持っていたものではなかったのか。だとすると、問題の焦点はもう一度「アレ」に、1951・4・28の日米講和条約の時点に遡る。古義人の父の死を語る大黄さんの言葉も、それをうけて沈黙する古義人の態度も、その意味するところの揺らぎは私のなかで容易に解決されないのだ。

  今回ほど自分の非力を思い知らされたことはありませんでした。もう大江の作品について書くのはやめようかと思いましたが、まずは、書けることから書いてみよう、とメモをしたためました。最後まで読んでくださってありがとうございます。

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