桔梗いろの空を鳥の大群がわたり、どこからかのろしが上がる。カムパネルラと女の子がことばを交わすかたわらで、ジョバンニはかなしくなって泪にくれている。
「そのとき汽車は川からはなれて崖の上を通るやうになりました。」と書かれて、なぜ「それから」でなく「そのとき」なのか微かな違和感をおぼえるのだが、これ以降汽車は渓谷を登っていく。黒いいろの崖の上には、野原の地平線のはてまで、ほとんどいちめん美しく立派なとうもろこしが実っている。「あれたうもろこしだねぇ。」とカムパネルラがジョバンニに話しかけるが、ジョバンニの気分は変わらない。
それからまた「そのとき汽車はだんだんしづかになって」小さな停車場にとまる。停車場の時計の振子が規則正しく音を刻む合間に、遠くの野原のはてから「新世界交響楽」のかすかな旋律が流れてくる。汽車の中は誰もがやさしい夢を見ているが、ジョバンニはひとり沈んでいる。
「すきとほった硝子のやうな笛が鳴って」汽車が動き出し、後ろのほうでとしよりらしい人が話している。この辺はひどい高原で、川までは二尺から六尺もある渓谷なのでとうもろこしの種は二尺も穴をあけておいてそこにまくという。それを聞いたジョバンニは、ここはコロラドの高原ではなかったかと思う。カムパネルラはさびしそうにひとり星めぐりの口笛を吹き、女の子は「絹で包んだ苹果のやうな顔色をして」ジョバンニと同じ方向を見ている。
突然とうもろこしがなくなり「巨きな黒い野原」がひらけ、新世界交響楽がいよいよはっきり地平線のはてから涌く。そのまっ黒な野原のなかを一人のインディアンが走ってくる。インディアンは「白い鳥の羽根を頭につけたくさんの石を腕と胸にかざり小さな弓に矢を番へて」いる。やさしい夢を見ていた青年が眼をさまし、「インディアンですよ。ごらんなさい。」とよびかけ、ジョバンニとカムパネルラも立ち上がる。
インディアンは半分は踊っているように見えたが、急に立ちどまって、弓を空にひくと、一羽の鶴が落ちてきて、また走り出したインディアンのひろげた両手に落ちこむ。インディアンはうれしそうに立ってわらうが、その影もどんどん小さくなって、またとうもろこしの林になってしまう。
天の野原を走っていた銀河鉄道がいつの間にか新大陸アメリカのコロラド渓谷を登っている。コロラドの高原にとうもろこしが植わっている。とうもろこし畑を行くと小さな停車場があって、新世界交響楽がかすかに聞こえてくる。停車場を過ぎると、突然とうもろこしがなくなって、黒い野原がひらけ、新世界交響楽がはっきりと聞こえるようになる。そしてインディアンが登場する。新世界交響楽とインディアンの登場がもたらす意味は何か。
ドヴォルザークが一八九三年アメリカ滞在中に作曲した新世界交響楽は日本でも親しまれたようだが、賢治は第二楽章の主題に詩をつけて、一九二四年夏には「種山ヶ原」として歌っていたといわれている。
「春はまだきの朱雲を
アルペン農の汗に燃し
縄と菩提皮にうちよそひ
風とひかりにちかひせり
四月は風のかぐわしく
雲かげ原を超えくれば
雪融けの草をわたる
繞る八谷に霹靂の
いしぶみしげきおのづから
種山ヶ原に燃ゆる火の
なかばは雲に鎖さるる
四月は風のかぐわしく
雲かげ原を超えくれば
雪融けの草をわたる」
第二楽章の主旋律には、野上彰、堀内敬三がそれぞれ「家路」「遠き山に日は落ちて」という歌詞をつけていて、その親しみやすいメロディとあいまって、日本人の感性に訴える名曲としての評価がさだまっている。だが、そのいずれも一九三〇年代以降のことなので、日本で最も早く歌詞をつけて歌っていたのは賢治だろう。注目すべきは、時期的に賢治の歌詞が早いということだけでなく、むしろ、賢治のそれが、アメリカで一九二二年ドヴォルザークの弟子だったウィリアム・アームズ・フィッシャーのつけた「Goin' Home」の歌詞と共通のベースをもつと思われることである。
フィッシャーの歌詞は「Goin' Home」というタイトルからうかがわれるように黒人奴隷の労働の歌である。
Goin' home,goin' home,
I'm a goin' home,
Quiet-like ,some still day,
I'm jes goin' home
It's not far, jes closs by,
THrough an open door,
Work all done ,care laid by,
Gwine(or:Goin') to fear no more.
Mother's there 'spectin' me,
Father's waitin' too,
Lots o' folk gather'd there,
All the frend I knew,
All the frends I knew,
Home I'm goin' home!
以下略。
フィッシャーの詞は、過酷な労働からの解放を歌い、次に同胞の待つ故郷への帰還を歌う。故郷への帰還はまた天国への導きとなっていく。余談だが、私は黒人霊歌を聴くのは好きではない。ほとんど絶望的な状況のなかで渇望する救済が、彼らを支配する白人の宗教であるキリストによるものであるというパラドックスが何ともやりきれないのだ。フィッシャーは白人なので、きれいにまとめた詞をつけているが、それでも黒人たちが置かれた状況の過酷さが浮かび上がってくる。
これに対して賢治の「種山ヶ原」の詞は、颯爽と「アルペン農」の労働を歌い上げる。「アルペン農」とは、高原で牛や馬を放牧させることだそうで、自立した農業労働のひとつの理想をそこに見ていたのかもしれない。あくまで理想だったが。
だが、新世界交響楽とともに、突然ひらけた巨大な黒い野原の中に現れたのは、いうまでもなくアルペン農でもなければ黒人奴隷でもなかった。鳥の羽根と石で身を飾った一人のインディアンが汽車の後を追って走ってきたのだった。
『銀河鉄道の夜』は解けない謎に満ちているが、私にとって最も大きな謎は、このインディアンが鶴を射ることである。コロラド高原にインディアンが現れるのは不思議ではなく、もともとはコロラド高原に限らず、アメリカ大陸に先住していたのは彼らだったのはいうまでもない。一面に植え付けられた美しいとうもろこしはインディアンの命を養ってきた作物だった。
コロラドでは、新世界交響楽が作られる三十年前に「サンドクリークの虐殺」と呼ばれる有名な事件が起きている。映画「ソルジャーブルー」はこの事件を提示することで、ベトナムでおきたソンミ村の虐殺を告発したともいわれている。男たちがバッファロー狩に出かけて不在のときに、軍の騎兵隊がインディアンのキャンプを襲い、無抵抗の女、子供を無差別に、口にするもおぞましいやり方で殺したのである。
だが、賢治がこの事件を知っていたとは思われないし、仮に知っていたとしても、新世界交響楽とともにコロラド高原にインディアンが登場することとどのような関係があるのかわからない。
新世界交響楽とインディアンとのかかわりといえば、第二楽章と第三楽章は、アメリカの詩人ロングフェローの「ハイアワサの歌」というインディアンの英雄譚から着想を得て、これをオペラ化しようとしたスケッチがもとになっているといわれている。第二楽章は、「森の葬礼」と題して、ハイアワサの妻ミンネハハの死を悼んだレクレイムだそうである。たしかに第二楽章の旋律は、颯爽とした労働歌よりも悲傷の情がしみとおるようなレクレイムの方がふさわしいように思われる。だがこれも、インディアンが鶴を射止めてわらうことと直接結びつけて考えることは難しい。
そして、何の根拠もなく思うのだけれど、インディアンが弓を射て鶴を射止め、落ちて来た鶴を両手でうけとめるという行為が、青年のいう「猟をするか踊るか」どちらにしても、ここには濃密なエロスの交換があるのではないか。
これもまた余談だが、私の住む町は東京からそんなに離れていない小都市で、わずかに残った田んぼと急速に増えた耕作放棄地の間にけっこう新しい家が建ったりしている。越してきて十年余りだが、この町で私は初めて鶴という鳥をま近に見た。建物のすぐ傍らの小川だったり、その上を車が通る橋の下の川だったり、刈り入れの終わった田んぼだったり、鶴はいつも一羽で、そんなに警戒心もないようだった。だが、もちろん、近づくと飛び上がって逃げる。体が大きいからだろうが、ゆったりと、優雅に、泳ぐように空をかけるのだ。
時空の次元を越境して、銀河鉄道はアメリカ大陸を走る。コロラド渓谷を下り川が下に見えるようになると、ジョバンニの気持ちはだんだん明るくなってくる。なぜか、小さな小屋の前にしょんぼり立っている子供を見つけてほうと叫んだりする。
ジョバンニが、というより賢治がアメリカ大陸で見たものは、故郷を追われて絶滅寸前のインディアンだった。美しいとうもろこし畑を見ても気持ちの晴れなかったジョバンニの心は、鶴を抱いたインディアンの姿を後にして、徐々にほぐれていく。ジョバンニの心理の機微をこのように描く賢治の意図はわからないが、賢治はここに生きることへの希望あるいは可能性を見出したのは事実だろう。そして、それは次の「星とつるはしの旄」へとつながっていく。
書いては削除し、また書いては削除の悪戦苦闘の日々でした。最後まで論旨を整理することが出来ず、何か言い足りないような、それでいて余計なことを言っているような、歯切れの悪い一文です。ほんとうは賢治と農業についても考えたいのですが、それはまた別の機会にしたいと思います。最後まで読んでくださってありがとうございます。
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