銀河鉄道はコロラド渓谷を下って、ふたたび天の川の横手を走る。河原にはうすあかい河原なでしこの花が咲いている。ゆっくり走る汽車の両岸に「星のかたちとつるはしを書いた旄」が立っている。
ジョバンニもカムパネルラも「「星のかたちとつるはしを書いた旄」が何の旗かわからない。鉄の舟もおいてある。女の子が橋を架けるところではないか、と問いかけると、ジョバンニは、これは工兵隊の旗で、架橋演習をしているのだと気づく。
少し下流の方で発破が仕掛けられ、烈しい音とともに天の川の水がはねあがり、大きな鮭や鱒が空中に抛り出され、輪を描いてまた水に落ちる。「空の工兵大隊だ。」とジョバンニは昂奮する。「僕こんなに愉快な旅はしたことない。いいねぇ。」とジョバンニの機嫌はすっかり直り、女の子と水の中の魚についてことばを交わしたりする。
この後しばらく架橋演習のシーンが続くのかと思いきや、ジョバンニと女の子の会話に追いかぶさるように、男の子が「あれきっと双子のお星さまのお宮だよ。」と叫んで、場面が急転換する。「双子のお星さま」の話とは、ポウセとチュンセという双子の星が傷ついた蝎を助けて難儀したり、箒星に騙されて海の底に落とされたりするが、最後は「王様」が救いの手をさしのべてくれるというあらすじで、賢治の処女作ともいうべき童話である。なぜ、この話が、唐突に、しかも男の子の要領を得ない説明とともに持ちだされるのか、わからない。
さらに、男の子が「ぼく知ってらあ。ぼくおはなししよう。」というのに、この後「双子の星」の話は展開せず、有名な蝎の話が語られるのである。「星とつるはしの旄」から空の工兵大隊、架橋演習の場面から「双子の星」の話への急転換、さらに尻切れトンボにうちきられた「双子の星」から、燃え続ける蝎の話、木に竹をついだようなエピソードの羅列は何を意味するのだろう。
ところで、細かいことだが、賢治は「星のかたちとつるはしを書いた旄」と「工兵の旗」と「はた」の文字を使い分けている。おそらく意図的だろう。「旄」は見慣れない文字で、「漢字の音符」というサイトによると、「ヤクの毛をまるめて丸くした飾りを五つほど連続して旗竿の上からつるしたもの。皇帝の使節に任命したしるしとして与えられた」とある。のちに舞踊あるいは軍隊を指揮する際にも使われたようだが、なんとなく「旗」よりも生々しい表情を帯びている。
そもそも「星のかたちとつるはしを書いた旄」が「空の工兵大隊」の旗として登場するのは何故か。「星のかたちとつるはし」からただちに連想されるのはソビエト連邦の旗だろう。一九二三年七月に制定されてから、いくたびか変更はあっても、ソビエト連邦の国旗に共通しているのは「槌と鎌と五芒星」である。「星のかたちとつるはしを書いた旄」にはじまる一連のエピソードは初稿から最終稿まで一貫して存在しているが、この時代に共産主義国家を連想させるものは危険だったのではないか。にもかかわらず、賢治はこの部分をどうしても残したかった。
「星とつるはしを書いた旄」が掲げられ、架橋演習が行われている。投げ出された鮭や鱒を見て、ジョバンニは欣喜雀躍する。このくだりについて、賢治は好戦的であるとする評者もいるようだが、そんなに短絡的に断定してよいものだろうか。
以前「桔梗いろの空にあがる狼煙と鳥の大群_ジョバンニの孤独感」でも書いたように、賢治は、体に横木を貫かれた兵隊の姿を画いて不気味で無残な表紙絵にしている。その名もずばり『飢餓陣営』では、餓死寸前の兵士をユーモアのオブラートでくるみこんで登場させる。『北守将軍と三人の兄弟医者』も、北守将軍は反英雄の英雄で、よく練られた反戦小説である。モデル(というより反モデル)は賢治の時代からそんなに離れていない時代の人かもしれない。賢治の戦争に対する意識は単純ではない。
ソビエト連邦を連想させる「星とつるはしを書いた旄」「空の工兵大隊」が行う「架橋演習」は何かの隠喩だろうか。「抛り出された大きな鮭や鱒」や遠くからは見えない小さな魚も同様だろうか。隠喩だとしたら、あまりにも危険である。「旄」という漢字を使い、祝祭をイメージさせながら、隠喩されたものがあからさまになることが危険すぎるので、唐突に男の子の「双子の星」の話を挿入して流れを中断したのではないか。全能で慈悲深い王様が、冒険して苦境におちいった双子の星を救ってくれるという予定調和のストーリーも危険な暗喩のめくらましになる、と賢治が考えたのかもしれない。あくまで推測の域をでないのだが。
男の子の「ぼく知ってらあ。ぼくおはなししやう。」ということばの後は空白になり、段落が切り替わる。この後、有名な燃える蝎の話になるのだが、長くなるので、また回を改めたい。蝎の話は、賢治の多くの作品がそうであるように、「自己犠牲」というテーマで語られることが多い。私は、「自己犠牲」ということばに回収されてしまってはならない複雑微妙な要素がここに含まれていると思う。
新大陸アメリカのコロラド高原からユーラシア大陸へ自在に、海峡を越えて汽車は走ったのだろうか。蝎の話まで含めてひとつながりの投稿にするべきかとも考えたのですが、ひとまずこれで区切りたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。