2016年8月4日木曜日

大江健三郎『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」__「80年代」とは何だったか?

 やはり今でも『晩年様式集』について書けなくて、あるいは書かないで、留保の状態を続けている。そしてもう一度、私が大江健三郎の作品を読むきっかけとなった『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』を読み直している。読み直しても、最初に読んでわからなかったことがわかるようになった、とはとてもいえないのだが。

 『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』は、五つの短編からなる連作短篇集である。昭和五五年一月号の《文學界》に「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」が発表された。以下《文學界》昭和五六年十一月号「雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち」、《新潮》昭和五七年一月号「雨の木(レイン・ツリー)の首吊り男」、《文學界》昭和五七年三月号「さかさまに立つ雨の木(レイン・ツリー)」、《新潮》昭和五七年五月号「泳ぐ男__水のなかの「雨の木(レイン・ツリー)」とあわせて昭和五七年七月に『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』として新潮社から出版された。五つの短編は、「雨の木(レイン・ツリー)」という記号は共通しているが、その主題と方法は必ずしも同じではないようで、わかりにくさの一因はそこにあるのかもしれない。

 第一作「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」は昭和五五年一月_一九八〇年の幕開けに発表された。この小説をいま、この時点で取り上げることに、何とも形容しがたい心地わるさを覚えるのだが、これは、精神病を病む人たちが起こしたミニ・クーデターの話なのである。主人公の「僕」はハワイ大学のセミナーに参加し、ある晩そのスポンサーが経営する精神病の民間治療施設で催されたパーティに招かれる。ホーキング博士を思わせる車椅子の建築家が登場し、客として招かれていたアメリカ人の詩人と論戦するのだが、実は建築家を含め、パーティの主催者側と思われていた人たちは、みな精神病の人たちだった。患者たちが看護婦と警備員を縛り、地下室に閉じ込めていたのである。暗闇の中で「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」を見に「僕」をつれ出した「アガーテ」と呼ばれるドイツ系アメリカ人もその一人だったのだ。

 「僕」が見たのはパーテイ会場の外に広がる闇を埋めつくすような巨木の板根だけだった。夜中に降った驟雨をその葉の窪みにためて、次の昼すぎまで滴らせるので「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」だとアガーテはいう。そういうことが可能な木があるのだろうか?アガーテは「雨の木(レイン・ツリー)」の板根の間に椅子を置いてそこから「馬上の少女(ア・ガール・オン・ホースバック)」と自ら題する幼女期__「本当に恐ろしい不幸なことは起こっていなかった頃」と彼女はいう___の肖像画を眺めることがあったらしいのだが。

 ここにさしだされる「雨の木(レイン・ツリー)」とは何か。次作「雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち」の中では「宙に架けるようにして提示した暗喩(メタファー)」としている。さらに四作目「さかさまに立つ雨の木(レイン・ツリー)」では、ユダヤ教のカバラにいうセフィロトあるいはクリフォトの暗喩となるのだが、第一作「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」が発表されてから二作目との間には一年十カ月の間隔がある。最初からそのような構想のもとに「雨の木(レイン・ツリー)」を提示したとは思えないのだ。

 確かなことは、「僕」が精神病の人たちが開いたパーテイ会場の「ニュー・イングランド風の古く大きい建物」__それは「はてしなく天上へ向けて上昇する構造をそなえた」と形容される__の外の暗闇が「巨きい樹木ひとつで埋められている」と思ったこと、そして、最後までその姿を見ることがなかった、と書かれていることである。それからもうひとつ、パーティの主催者が精神病の患者だったことがわかって、「僕」を含む客たちが一目散に逃げ出すときに、頭のいい「雨の木レイン・ツリー)」の方角から「およそ悲痛の情念に躰がうちがわから裂けるような、大きい叫びとしての女性の泣き声」を聞いたことである。

 大江健三郎は80年代の幕開けに、ハワイというアメリカ本土と異なる風土、歴史をもつ、しかし紛れもなくアメリカである島の狂人の家で起こった出来事を書いたのである。「雨の木(レイン・ツリー)」というより、この出来事自体が状況の「暗喩」だったのではないだろうか。パーティは島の狂人の家で開かれる。その家は「はてしなく天上へ向けて上昇する構造をそなえた」もので、住人(収容されている人)は各々個個の「位置」を割り当てられている。このことが意味する具体的な現実がどのようなものであるか、あるいはあったか、ということは未だに私のなかで揺らいだままなのだが。

 あまりに長い間書かないでいると、書くことがどうでもよくなってしまいそうで、苦しんでいます。何でもいいから書いてみた、の見本のような文章ですが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

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