いま大江健三郎の『懐かしい年への手紙』を読んでいる。錯綜した時系列の要所々々にダンテの「神曲」、イエーツの詩、新旧約の聖書などが原文または文語訳、ときにはラテン語などでかなりの分量が引用され、西洋文学にたいして通り一遍の知識と教養しかない、もしくはそれすらも覚束ない私は悪戦苦闘を強いられている。それでも大半は、(当たり前だが)日本語で書かれている。日本語および日本文学の読者として、この作品を読み進めるにあたって、どうしても看過できない、というほど大げさでもないかもしれないが、喉に突き刺さった骨のような感触を覚える部分があるので、それについて書いてみたい。
ひとつは主人公ギー兄さんが淡い思いをよせた女優のSさんを懐古してくちずさむ「のうさてな、逢ひ見ての後の心にくらぶれば、かほど物をば思はじものを、昔恋ひしやな、今の身や」という古歌とも謡ともつかぬ語句である(下線は筆者)。作中妻のオユーサンが指摘するように百人一首にある権中納言敦忠の歌から引用しているのだが、原歌は「逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり」(下線は筆者)である。ここは打ち消しの助動詞「ず」(この場合は連用形「ざり」)しか使えない。「思はじ」の「じ」は否定の意志、推量の助動詞「じ」(この場合は連体形「じ」)なのだが、それでは前の句と意味が繋がらない。日本語として意味が成り立たないのである。「のうさてな・・・・」は何度も繰り返されるので、その部分を読むたびに意識は混乱してそこでたちどまってしまう。
もうひとつは、こちらが本題なのだが、自作『セヴンティーン』を発表し右翼から攻撃されたことに関連して、深沢七郎の『風流夢譚』に言及した箇所である。ほぼ時期を同じくして発表された『風流夢譚』について大江健三郎は「天皇家をめぐり、土着的な独自のグロテスク趣味に、強い風刺性をないまぜたこの小説」と総括している。?「土着的な独自のグロテスク趣味」とはあまりに皮相なもっといえば浅薄な見方ではないか。深沢はその独特な石和弁とおよそ作家らしからぬ日本語の使い方からそのように誤解されるかもしれないが、きわめて都会的、理知的な作家である。『風流夢譚』のグロテスク趣味とは何を指していうのか。私には大江健三郎の情愛を伴わない性描写の方がよほどグロテスクに感じられる。もっとも、「グロテスク」は非難の言葉ではないのだが。
前回のブログでも述べたように、『風流夢譚』は堅固な構成の作品である。前回は「私は誰でしょう?」と語り手に焦点を当てて考察してみたが、今回は作品の枠組みをつくる「時間」について考えてみたい。冒頭「あの晩の夢判断をするには、私の持っている腕時計と私との妙な因果関係を分析しなければならないだろう」と書かれているが、この小説には二つの時計が重要な役割を果たすのだ。一つは「アメリカ婦人」のものだったのを「私」が友人から買った腕時計であり、もう一つは同居している甥の「ミツヒト」が家に置いてある「高級なウエストミンスターの大型時計」である。「アメリカ婦人」のものだった腕時計は「私」が腕からはずして寝ると止まって、朝起きて腕につけると動きだすのだが、「ウエストミンスターの置時計」はつねに正確な時を刻む。「私」は二つのタイム・スケジュールにのっとって生きているのである。
日中活動しているときは「アメリカ婦人」のものだった腕時計の時間が流れるが、眠っているときは腕時計は止まっている。一方「ウエストミンスター」の置時計は休むことなく動いていて、厳然として流れは止まることがない。ただ「あの晩」の午前1時50分から2時の10分間だけは「私」の腕時計も動いていて、「私」は革命の夢を見た。グロテスクな描写などどこを探してもなく、あっけらかんと、それこそ大江のいう「祝祭としての革命」の夢である。夢の中味を詳しく吟味することは次の機会に譲って、いまは、この夢が二つの時間の流れが一致した僅か10分間に見られたものだった、ということを指摘しておきたい。アメリカの時計とイギリスの時計が重なって動いた10分間。そして夢の中で繰り返し出現する「イギリス製」の皇族の衣裳。それは偶然の一致だろうか。
ほんとうは『懐かしい年への手紙』に集中すべきなのですが、大江の『風流夢譚』へのあまりにおざなりな評価の仕方に一言いいたくなって寄り道してしまいました。大江健三郎という作家が日本語および日本文学に対してどのような姿勢をとっているのか、についてはもっと時間をかけて考え続けなくてはいけないように思います。
今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
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