寺山修司が好きだった。といっても、折口信夫が好きだとか深沢七郎が好きだ、というような「好き」ではなく、もっとミーハー次元の「好き」に近いのだけれど。敗戦から高度成長の絶頂期寸前までを駆け抜けた天才は、あまりにも早く逝ってしまった。文学すべてのジャンルをやすやすと越えていっただけでなく、映画、演劇もつねに「前衛」だった。私の理解などとてもついていけないうちに逝ってしまったのだ。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
『第一歌集 空には本』の「祖国喪失」と名づけられた連作の第一首である。有名な歌なので、これもネット上でさまざまな感想が述べられている。だが、いまここで、私が注目したいのはもっと形式的なことである。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし」と「身を捨つるほどの祖国はありや」の、上五、七、五と下七、七は一首の中で連続しているだろうか。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし」はこの五、七、五だけで十分完結したイメージをもたらす。完成した無季俳句といってもよい。
「身捨つるほどの祖国はありや」は、それにつけた脇の句である。この七、七は、上の句から自然に生み落とされたものでなく、上の句といったん切れて、あらたに詠まれたもののように見える。そして、上の句に寄り添うように見えながら、じつは上の句を拘束、限定していく。つまり、これは連歌俳諧の技法なのだ。もっといえば、一首のなかで、上の句と下の句を詠みわける二つの人格を演じてみせたのだ。
この歌と次に記す歌とを比較してみよう。同じく『第一歌集 空には本』の「チェホフ祭」の第一首
「一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき」
これも有名な歌である。一見して、一首が第一句から五句まで連続していることがわかる。第三句は、わざわざ「まきしのみ『に』」と字余りを嫌わず『に』をつけくわえて、連続性を保った。完璧な連続性である。
たった一粒の種をまいただけで、世界を所有したような自負心をひそかにもっている少年の姿が鮮やかに浮かび上がってくる「向日葵の種を・・・・」の歌の抒情から、途中に断絶がある「マッチ擦るつかのま・・・・」の歌へと、寺山の歌は屈折していく。その屈折がどのように自覚的なものであったかは「僕のノオト』として歌集の後書きに記されている。
「ただ冗漫に自己を語りたがることへのはげしいさげすみが、僕に意固地な位に告白性を戒めさせた。『私』性文学の短歌にとっては無私に近づくほど多くの読者の自発性になりうるからである」
だが、寺山の短歌は、限りなく無私に近づくというよりは、よりフィクションの世界に傾倒していったように思われる。そして、やがて、短歌を捨て、自由詩から小説、演劇のジャンルへと、様式の制約をかなぐり捨てていった。様式に制約されることで得られる自由から、様式から脱出することで得られる自由の世界に漕ぎ出していったのだ。
今日はなかなか「書く」ことのモチベーションがあがらず、またしても日付が変わってしまいました。不出来な作文を読んでいただいてありがとうございます。
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