naoko_note
2016年4月23日土曜日
三島由紀夫『禁色』__三島由紀夫とは何者だったのか
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三島由紀夫の『禁色』について、いつまでも考えている。書くことはたくさんありそうで、さて、何をどう書いたらいいのか迷っている。ひとことでいったら思弁的、形而上学的装いの通俗小説である、と評したくなる誘惑にかられている。あるいは、複雑かつ巧妙にカモフラージュされたモデル小説である、...
2016年3月28日月曜日
映画『恋人たち』___「映画」という文法
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去年の暮れにカメラマンをしている息子から薦められて、はやく見ようと思っていた『恋人たち』という映画をやっと見ることができた。もう都心の映画館では上映しているところがなく、やっていたのは「深谷シネマ」というNPO法人が運営している地方の、映画館というより民俗資料館みたいな外観のこ...
2016年2月28日日曜日
橋本治『三島由紀夫とはなにものだったのか』___「父」と「天皇」そして「女」を語らない自分史
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のっけから随分辛口のタイトルとなったが、この評論はおもしろかった。ひとつには、著者の橋本治が私とほぼ同世代で、ともに学生運動の嵐が吹き荒れる中で青春時代(歌の題名みたいであまり使いたくない言葉だが)を過ごしたからである。 橋本治は当時現役バリバリの東大生で、のみならず「と...
2016年1月9日土曜日
大江健三郎『水死』___「をちかへり」考___「ウナイコという戦略」拾遺
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『水死』について、これ以上書くこともない、というか書けることもないのだが、一つだけ前回「ウナイコという戦略」で書き残したことを書いてみたい。『水死』のヒロイン、反・時代精神の女優ウナイコ「ウナイコ」が「ウナイコ」と呼ばれるようになったくだりで引用される古歌の解釈の問題である。 ...
2015年12月21日月曜日
大江健三郎『水死』__コギーという記号とあらゆる手続きの演劇化
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大江健三郎の小説を読んで分かった、と思ったことは一度もない。分かった、と思うときがきたら、そのとき私は大江の読者でなくなるだろう。『水死』も分からない小説で、いろいろな分からなさがあるが、まずは「コギー」なる名称と存在が分からない。 物語の始めに、古義人が賞をもらったとき...
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