『ポラーノの広場』の中で、一番魅力的かつ重要な人物は、じつは山猫博士と呼ばれるデストゥパーゴではないだろうか。『ポラーノの広場』で連日酒宴を催し、本気とも酔狂ともつかぬ決闘騒ぎを起こした後、忽然と姿をくらましてしまう。山猫博士とキューストたちの出会いがなかったら、そして、彼が密造酒をつくっていた工場を遺して姿をくらまさなかったら、ファゼーロやミーロは産業組合を起ち上げることができなかったのだ。
山猫博士とはいったい何か。「山猫を釣って外国に売っている」と羊飼いのミーロはいうが、「山猫を釣る」とはどうやって「釣る」のだろう。魚は釣り針にかかるが、山猫はかからないと思うので、捕獲器で捕まえるのだろうか。また、捕まえた山猫を外国で売っているというが、誰がどのような目的で買うのか。謎に満ちた人物である。
もうひとつ細やかな疑問がわくのが、デストゥパーゴとレオーノキューストの関係である。じつは、物語の始まる前に二人は出会っていたのではないかと思われるのだ。遁げた山羊を連れてきたファゼーロからデストゥパーゴの名を聞いたキューストは「あいつは悪いやつだぜ。」と言っている。実際にポラーノの広場でキューストを見たデストゥパーゴは「どうもわたくしのことを見たことはあるが考え出せないという風」だったと書かれている。博物館の職員のキューストと県会議員のデストゥパーゴはどんな関係だったのだろうか。
ところで『ポラーノの広場』はタイトルの脇に「レオーノキュースト誌」とに書かれている。この作品はレオーノキューストーが「記録」したものである、ということになっている。それを(外国語で書かれているので)宮沢賢治が「訳述」したものである、とも。では、レオーノキューストとはどんな人物なのか。
レオーノキューストの自己紹介は作品の冒頭に述べられている。「前十七等官」で県の博物局で「標本の採集、整理」の仕事をしていた、とある。好きな事だったので、「毎日「ずいぶん愉快にはたらきました」とあるのは賢治の性向と一致するのだろう。だが、「標本の採集、整理」は過去の遺物の記録、展示であることにも注目したい。レオーノキューストは『ポラーノの広場』を、「みんななつかしい青いむかし風の幻燈のように」私たちの前に呈示しているのである。
俸給は「ほんのわずか」だったが、レオーノキューストの生活は自足したものだった。植物園に拵え直す予定の競馬場の跡地に、「小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって」ひとり番小屋に住み、一匹の山羊を飼って毎朝乳をしぼり、パンにひたしてたべる。おそらくこれは賢治が憧れた生活だったのだろう。「靴もきれいにみがき」毎日さっそうと市役所に出勤する。経済的にも自足、自立した生活。富商の父の庇護から自立する生活を模索して一生葛藤したのが賢治の生涯だったと思われるのだが。
一方、山猫博士と呼ばれるデストゥパーゴはどのような人物として描かれているか。彼はポラーノの広場の持ち主であるという。資産家なのである。木材の乾溜工場も経営していて、そこでじつは密造酒を作ってもいる。いかがわしいけれど、経営者である。同時に資本家あるいは投機家でもあって、姿をくらました後住んでいる大都市に土地を持っているらしい。だが、経営の失敗を株主に追及されて失踪せざるを得なかった(あるいは計画的失踪?)ところをみると、絶大な権勢を揮う人物でもないらしい。大酒呑みで粗暴なふるまいをするが、じつは気配りは細やかで機を見るに敏である。
ファゼーロやミーロ、村の老人たちは、デストゥパーゴが放棄(?)した工場を利用して生産し始めた。彼らの産業組合は、デストゥパーゴが投下した資本の上に成り立ったのである。現実にはあり得ない展開は、作者賢治の最後の祈りを作品のなかに具体化したのだろう。
レオーノキューストは「いまこの暗い巨きな石の建物のなかで」「友だちのないにぎやかながらすさんだトキーオ市のはげしい輪転器の音のとなりの室で」ひと夏の夢のような物語を記録する。レオーノキューストのこの姿に、ファゼーロたちとの同伴者、観察者のたたずまいを見る意見が多いが、私はもっと直截に、賢治の自己処罰、自己批判があると考える。ポラーノの広場の酒宴の席で、デストゥパーゴの決闘の相手にファゼーロをさしだして、自分は介添え人として後ろにひいたこと。決闘の後、帰る場所がなくなったファゼーロをそのままにしたこと。レオーノキューストにこのようなふるまいを、敢えてさせて、賢治は自分を罰しようとしたのだと思われてならない。そんな必要があるとは、私だけでなく誰も思わないだろうが。
最後に記される「一通の郵便で受けとった」『ポラーノの広場』の楽譜と歌は、賢治の人生の到達点での希求である。You Tubeで岩手大学の混声コーラスを聞くことができるので興味のある方はそちらをお聞きになることを勧める。特に、ローテンブルクの聖フランシスコ教会で録音されたものが素晴らしい。
まさしきねがいに いさかうとも
銀河のかなたに ともにわらい
なべてのなやみを たきぎともしつ、
はえある世界を ともにつくらん
宮沢賢治の作品は「童話」というくくりで語られることが多い。自然界のすべてが対象で、擬人化されていることから「童話」というジャンルに属するのだろうが、文学、とくにすぐれた文学が時代の状況と切り結ぶものである以上、歴史的あるいは社会学的な考察が必要なのではないか。などと大それたことを考えているのですが、ここ二ヵ月近く五十肩に悩まされていることもあって、いかんせん力不足です。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
ところで『ポラーノの広場』はタイトルの脇に「レオーノキュースト誌」とに書かれている。この作品はレオーノキューストーが「記録」したものである、ということになっている。それを(外国語で書かれているので)宮沢賢治が「訳述」したものである、とも。では、レオーノキューストとはどんな人物なのか。
レオーノキューストの自己紹介は作品の冒頭に述べられている。「前十七等官」で県の博物局で「標本の採集、整理」の仕事をしていた、とある。好きな事だったので、「毎日「ずいぶん愉快にはたらきました」とあるのは賢治の性向と一致するのだろう。だが、「標本の採集、整理」は過去の遺物の記録、展示であることにも注目したい。レオーノキューストは『ポラーノの広場』を、「みんななつかしい青いむかし風の幻燈のように」私たちの前に呈示しているのである。
俸給は「ほんのわずか」だったが、レオーノキューストの生活は自足したものだった。植物園に拵え直す予定の競馬場の跡地に、「小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって」ひとり番小屋に住み、一匹の山羊を飼って毎朝乳をしぼり、パンにひたしてたべる。おそらくこれは賢治が憧れた生活だったのだろう。「靴もきれいにみがき」毎日さっそうと市役所に出勤する。経済的にも自足、自立した生活。富商の父の庇護から自立する生活を模索して一生葛藤したのが賢治の生涯だったと思われるのだが。
一方、山猫博士と呼ばれるデストゥパーゴはどのような人物として描かれているか。彼はポラーノの広場の持ち主であるという。資産家なのである。木材の乾溜工場も経営していて、そこでじつは密造酒を作ってもいる。いかがわしいけれど、経営者である。同時に資本家あるいは投機家でもあって、姿をくらました後住んでいる大都市に土地を持っているらしい。だが、経営の失敗を株主に追及されて失踪せざるを得なかった(あるいは計画的失踪?)ところをみると、絶大な権勢を揮う人物でもないらしい。大酒呑みで粗暴なふるまいをするが、じつは気配りは細やかで機を見るに敏である。
ファゼーロやミーロ、村の老人たちは、デストゥパーゴが放棄(?)した工場を利用して生産し始めた。彼らの産業組合は、デストゥパーゴが投下した資本の上に成り立ったのである。現実にはあり得ない展開は、作者賢治の最後の祈りを作品のなかに具体化したのだろう。
レオーノキューストは「いまこの暗い巨きな石の建物のなかで」「友だちのないにぎやかながらすさんだトキーオ市のはげしい輪転器の音のとなりの室で」ひと夏の夢のような物語を記録する。レオーノキューストのこの姿に、ファゼーロたちとの同伴者、観察者のたたずまいを見る意見が多いが、私はもっと直截に、賢治の自己処罰、自己批判があると考える。ポラーノの広場の酒宴の席で、デストゥパーゴの決闘の相手にファゼーロをさしだして、自分は介添え人として後ろにひいたこと。決闘の後、帰る場所がなくなったファゼーロをそのままにしたこと。レオーノキューストにこのようなふるまいを、敢えてさせて、賢治は自分を罰しようとしたのだと思われてならない。そんな必要があるとは、私だけでなく誰も思わないだろうが。
最後に記される「一通の郵便で受けとった」『ポラーノの広場』の楽譜と歌は、賢治の人生の到達点での希求である。You Tubeで岩手大学の混声コーラスを聞くことができるので興味のある方はそちらをお聞きになることを勧める。特に、ローテンブルクの聖フランシスコ教会で録音されたものが素晴らしい。
まさしきねがいに いさかうとも
銀河のかなたに ともにわらい
なべてのなやみを たきぎともしつ、
はえある世界を ともにつくらん
宮沢賢治の作品は「童話」というくくりで語られることが多い。自然界のすべてが対象で、擬人化されていることから「童話」というジャンルに属するのだろうが、文学、とくにすぐれた文学が時代の状況と切り結ぶものである以上、歴史的あるいは社会学的な考察が必要なのではないか。などと大それたことを考えているのですが、ここ二ヵ月近く五十肩に悩まされていることもあって、いかんせん力不足です。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。