2018年8月16日木曜日

小津安二郎『東京物語』__死の予告__「私をさびしい草原に埋めないで」

 今回はメモです。

 『東京物語』で使われる曲は四つある。最初と最後はアメリカの曲で、間に挿まれて日本の歌謡曲が二曲歌われる。この二つは戦争中のもので、周吉ととみが熱海の宿で眠れない一夜を過ごす原因となる。曲は「湯の町エレジー」と「煌めく星座」で、とくに後者は延々と二番の歌詞まですべてアコーデオンの伴奏つきで三木たかしという歌手が歌っている。

 「煌めく星座」は一九四〇年高峰秀子主演の『秀子の応援団長』という映画の主題歌でハワイ帰りの灰田勝彦が歌い、レコードとなっている。これについても書きたいことが少しあるのだが、いまは最初に幸一の長男実が口笛でメロディを吹く「私をさびしい草原に埋めないで」をとりあげてみたい。

 東京の幸一の家についた周吉ととみを、日曜日に幸一が東京見物に連れていこうとする。実と勇も一緒である。幸一にいわれて実が二階の周吉夫婦の様子を見に階段を上がっていく。そのときに実が吹いている口笛が「私をさびしい草原に埋めないで」なのだ。「私をさびしい草原に埋めないで」というより西部劇『駅馬車』のメロディーとして記憶されている方も多いだろう。軽快なリズムとテンポのこの曲が「私を海原に投げ込まないで」という海賊の歌として数百年も歌い継がれてきたことを知る人は少ないのではないか。

 「私をさびしい草原に埋めないで」という歌は前述の海賊たちの間で歌われてきたものが、開拓時代のカウボーイたちによって歌い継がれてきたもののようである。「駅馬車」の主題歌とはテンポとリズムの異なるものが、ユーチューブで検索されるが、何とも乾いた、虚無の風が吹き抜けるような感じがする。

 ほんの数小節口笛で吹かれるこの曲にこだわるのは、ラスト近く、紀子が周吉からとみの懐中時計を渡されて泣き崩れるシーンとかぶさって流れるのが、フォスターの「主は冷たい土の中に」(日本では「夕べの鐘」という題で歌詞が付けられているものもあるようだが)という曲で、最初と最後で見事に起承転結が合うからである。「主は冷たい土の中に」は黒人奴隷が主人の死を悲しんで、主人を偲ぶ歌である。フォークソングのようだが、フォスターが作曲したものだ。

 明るく、軽快に死を予告する。そして、「死」は実行される。もし、これを確信犯としてやっているなら、何という残酷なことだろう。

 『東京物語』の謎は深まるばかりである。

 『晩春』の「プーちゃん」についても書きたいことがあるのですが、「クーさん」との整合性がいまいちなので、もう少し時間が欲しいと思っています。

 とりとめもない妄想を最後まで読んでくださってありがとうございました。
 

2018年8月2日木曜日

小津安二郎『東京物語』__時空の揺らぎと「物語」の嘘

 『東京物語』を見ていて、どうしても気になることのひとつに、尾道_東京間の所要時間はいくらなのか、という極めて初歩的で単純な疑問がある。

 冒頭周吉ととみが旅行鞄に荷物を詰めている。次女の京子が小学校に出勤する前に弁当とお茶を用意して二人に渡している。ところが、二人はすぐ出発するのではなく、「昼からの汽車で」東京に行くのだと言う。弁当とお茶はどこで、いつ食べるのだろう。暑い盛りに腐ってしまわないだろうか。まず、ここでかすかな疑問が生まれる。

 周吉は京子に、学校が忙しければホームにこなくていい、と言うが京子は「五時間目は体育だから」大丈夫だと言う。ということは、周吉ととみが乗る汽車は、午後一時から二時の間に尾道を出発することになる。大阪には(午後)六時に着くから敬三がホームに来ているだろう、とも周吉が言っている。ところが、二人が東京に到着する時刻は明らかにされないのである。

 尾道の家で隣家の主婦と会話した後、すぐ六本の煙突が煙を吐くシーン、続いて「ほりきり」と書いた看板が立つ小さな駅のホームのシーンになる。周吉ととみの車中の様子は映像化されないのである。「内科小児科平山医院 スグ此ノ土手ノ下」と書かれた看板が映り、その後中年の女性が箒で室内を掃いているシーンになる。この家の主婦の平山文子である。「ただいま」と男の子が学校から帰ってくる。文子の長男実である。その後、文子の夫で周吉ととみの長男平山幸一が、二人を連れて家に入ってくる。幸一の妹(周吉ととみの長女)志げも一緒である。これは何時頃の出来事なのだろうか。

 「今、テストなんだぞ」と言う実(中学生)が帰宅するのはどんなに早くてもお昼すぎ、あるいはお昼間際だろう。とすると、東京駅には何時に着いたのだろうか。

 周吉ととみが尾道に帰るときの所要時間は確定されている。夜「九時三〇分」発の急行で翌日「午後一時半」には尾道に着くのだから、ととみが言っている。つまり東京→尾道間は十六時間である。

 東京→尾道間も尾道→東京間もほぼ同じ所要時間とすれば、「お昼すぎに尾道を出発」すれば翌朝五時過ぎ遅くとも六時には東京駅に着くはずである。その時刻に着けば、「だいぶん、自動車で遠いかった」ととみは言うが、幸一の自宅兼医院がある「ほりきり」駅近くまで車で走っても、お昼近くまでかかることはないだろう。ということは東京駅には十時過ぎに到着したことになり、尾道→東京は東京→尾道に比べ、はるかに時間がかかるということになる。そういうことがあるだろうか。

 ところで、「ほりきり」と看板がかかった駅は実は東武伊勢崎線の「堀切」駅ではないそうである。何となく不吉な感じのする音響とともに、六本の煙突(千住発電所のお化け煙突と呼ばれていたものらしい)が立っているシーンの後、「ほりきり」と書かれた看板が立つホームが遠景で映される。続いて、モンペ姿の若い娘が二人汗を拭きながら談笑しているシーンになる。かたわらに大きな籠が置かれているので、行商をしているのだろう。二人が立っている前に「うしだ」「〇ねがふち」と両隣の駅名が書かれた看板が立っている。いかにも「堀切」駅のホームのようである。
 
 だが、これは京成押上線の「八広」と言う駅で撮影されたものだそうだ。実際の堀切駅は、線路が道路より下にあるので、この映像のようにトラックが線路と同じ高さで走ることはあり得ない。また、この映像では踏切がホームの手前に映っているが、堀切駅の近くには踏み切りはない。「うしだ」「〇ねがふち」と両隣の駅名を書いた看板は、よく見ると電車の進行方向と直角に立っている。これでは電車の中から駅名が見づらい。つまりこの看板はニセモノなのである。

 なぜ、小津は八広駅を「ほりきり」駅にしたかったのか。「ほりきり」にこだわる理由があるのだろうか。たんに平山医院の場所を荒川の土手の下にしたかったのなら、「ほりきり」駅のホームを映さなくてもよかったのに、と思う。

 事実に見えるように映像化して、その中に嘘を混ぜる。何となく違和感はあるものの、さらっと見逃してしまいそうな嘘である。なぜ、こんな手のこんだことをするのか。

 大江健三郎が『憂い顔の童子』の中で、母親の言葉としていっているように「本当のことをいうのは、ウソに力をあたえるため」なら、逆に「嘘を言うのは、本当のことに力をあたえるため」という論理は成り立つだろうか。

 『東京物語』の「本当のこと」は何だろう。『東京物語』の嘘は、注意深く検証すれば嘘であることが証明されるが、「本当のこと」は容易に姿を現してくれないような気がする。一見分かりやすい人情劇_酷薄な娘と役立たずの息子を演じる杉村春子と山村總は名演技だと思う_の向こうにある本当の「物語」は何か。私たちはもう一度「東京」の「物語」あるいは「物語」の「東京」について考えなければならない。

 非常に即物的でありながら極めて抽象的な論を展開してしまいました。「東京物語」の「本当のこと」について書くにはもう少し時間がかりそうです。書けるかどうかわかりませんが、何とか言葉にしたいと思っています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。